大人の図鑑カフェ

__夢見る頃を過ぎても(その2)__

__夢見る頃を過ぎても(その2)__

__夢見る頃を過ぎても(その2)__

店舗Blogで何やってんだ、なんて言われてそうですが、
構わず続け、一気に最後まで書ききってしまおうかと思います。
前編はいわゆる妄想爆発なだけで終わっているので、

「もー何言ってんだコイツ。」
「お薬出しておきましょうね。」ってな状態でしたが、

中編・後編にて広げた風呂敷を畳みに入ります。(※出てくる画像は過去のイベント写真です※)
言ってみれば、妄想を現実世界に引っ張ってくるためにはどうしたらよいか?
というのを少し具体的に踏み込んでみたのが中編と後編です。

そして、今のところfumikuraの核にしたいのがこの中編にあたり、
開店から3年間、この分野を中心に試行錯誤の真っただ中に居ます。
まぁ、合同会社のレベルで価格差の問題はどう考えても無理ですが、
一応はそういった思想がある、という程度で片隅において頂ければと思います。

さてとりあえず、
今日は社会教育編です。
【教育】という単語を聞くと、
だいたいの人は「学校」を連想するかと思います。
でも、実際のところ、
人って学校だけで「学んでいる」わけではない、、、ですよね?
例えば、
仕事をすれば仕事の手順を先輩から教わる、
地域社会に出れば、ムラ社会やマチ社会のちょっとしたルールがある。
そして、
いわゆる礼儀作法などの「しつけ」は家庭で教わるものだし、
趣味は趣味で、その筋の先輩や仲間から、気づいたら色々と学んでいる。

人間が生きていればいるだけ、
様々な場所で学び続けていく。
学校も家庭も職場も、広くくくれば「社会」です。
社会教育を広義で言うと、
そういう「いつでもどこでもだれとでも、学ぶ」という、
学び方のスタンスを身につけることを指します。
「生涯学習」なんて単語は、まさにその発想です。
一応、
社会教育法などで規定されている定義はとはちょっと違うのですが、
定義についてあれこれ書いても仕方がないので、
ここでは大雑把な状態のままで進めます。

学校教育が「知識偏重」となってしまっている現状では、
なかなかこの「自分にとっての学び方」というのが、
身につかなくなってきているのかな、と、思いマス。
唯一、社会教育的な特別活動は縮小傾向だし、
総合学習(ゆとり教育)の失敗も、本当に痛かった。
目の付け所は悪くなかったけれど、活用できる力量がある教師がゼロに近かった、ということだろう。
日本の社会もそれなりに成熟してきました(異論はあるでしょうが)。
学校を卒業したら「勉強(学ぶことを強要されること)」は終わり。
でも、
人間の知識欲は学校の知識だけでは満足できません。
自分の趣味の分野だけでなく、
知りたいこと、学びたいことはきっと、数限りなくある。
「生涯学習」が叫ばれて久しく、
学校や仕事以外で、
語れる仲間・時間・空間といういわゆる「三間(さんま)」を提供しようというのが、
現在、社会教育の分野で大きな比重を占めるようになってきました。
でも。
基本的には公(自治体レベル)の施設に付帯したサービスととらえられがちで、
たとえば公民館や児童館、青年の家などで様々な取り組みがなされていますが、
都市になるほど公の施設から一般市民は縁遠くなる傾向にあり、
民間に似たようなサービスを行う業者(カルチャーセンターなど)が生まれてきたりします。
ただし、それらのほとんどは「大人向け」であり、
趣味のことを学ぼうとすれば、
それらは「講習」という授業スタイルの一方通行になりがち。
自分たちでサークルを立ち上げて活動しようにも、
そこには「居住地域の制限(自治体運営施設の場合)」があったり、
結局は「貸し会議室を借りているだけの独自勉強会」で終わってしまう事が多いようです。
これでは、学校の公開講座や研修施設と何ら変わりがなく、
いつのまにかフラリと同好の人が集まり、「場」を広げていくという、
人の輪が重なり合う社会教育の妙にまでは、至っていないと感じてしまうのです。
たとえば、
複数の学校で部活を同じくする生徒が連絡を取り合って作る部活連合体
(大学で言えばインターカレッジサークル)や、
そこに同好の大人が自然と加われるような場が生まれれば、
それはまた、面白いことだと思いませんか?

身近な事例で申し訳ないのですが、
よく遊びに行くエジプト関連の雑貨屋さんは、
移動店舗形式で様々な町を週単位で移動しています。
僕はそこの雑貨屋の古参客になってしまいましたが、
同じ町で出会った同じような常連客、そして、遠征先の町で出会った常連客、
様々な出会いがあり、そして、店主そっちのけで酒を飲む機会もあったりしました。
そこで感じたのは、
年齢も性別も、職場も違う様々な人間を引き合わせた店主の器の大きさもさることながら、
利用者が「(エジプト雑貨という)知」を求めて集まってきている、ということ。
ミュージアムに限らず、 こういったショップでも、
大量生産のトコロテン製品を売るだけではなく、
デザインや効能、由来を記して購買者の知を刺激しています。
地方物産の対面販売(アンテナショップ)も仕事として経験しましたが、
購買者の知的アンテナを直接刺激する対面販売の面白さは、
「商品を売る」という一過性の行為だけで終わらず、
利用者の知として、
その生涯の話題に関われる事だと、僕は思っています。
商品を通じて産地を感じ、歴史を感じ、
品物だけでなくその外に広がる世界に興味が広がる。
そして、その世界に広がる人々と関連を持ち、
気がついたらいつのまにか、
ショップ店主と客だけでなく、常連客同士までもが、
面白い絆(リレーションシップ)を持ってしまう。
既存の「ショップ購買客のコミュニティ」
では考えられない連携の深さ、
それはもちろん、
催事(実店舗)に限らず、
Facebook(SNS)やツイッター、Instagram、店舗Blogという
ヴァーチャルでも繋がれる空間があってこそでもあるわけですが、
その包括的な空間を含めて、
ショップを中心とするトポスの広がりの多層性に、
とてもとても、興味があります。
僕の求める雑貨店構想での理想の一つが、
この空間(トポス&コミュニティ)形成なんですよね。
さて、
これを市町村営の公民館でできますか?と。
単なる「講座」に終わらない、
人と人とのリレーションシップ。これがまた、難しいのです。
それをちょこっと考えてみたのが、次の項目です。

<まずは同じ価値観を持つ年代層での棲み分け>
時間別に大人と子供の棲み分けを行う、
というのは既に書きました。
これは、
「子供だけが立ち入れる世界」を確保するためのもの。
昔は駄菓子屋がこの役目を担っていました。
特定の年齢層だけしか立ち入れない暗黙の了解があって、
大人に踏み込まれない安心感から、
子供文化の基地・拠点になっていたことを鑑みて。
特に、親の介入を兎角許しがちな学校世界との棲み分けで、
子供らしく居られる「影のある場所」を
保護していくことが目的です。
公園は既に、犯罪者抑制の立場から
木立や植栽などの「陰影」が消え去りつつあります。
「隠れる」ことから発生する【秘密】が、
子供から取り上げられてしまっているのは、由々しき事態です。
闇雲に大人が子供世界に介入することは、
子供の本当の自我形成に影を落とすと考えるからです。
(※個人的な意見ですが、いじめは顕在化して居るぐらいが丁度良く、秘密が担保されないと、
  ネットなどの大人の目の届かない閉鎖空間にその秘密を深く深く埋めてしまいます※)

夕方の子供・大人共用時間を過ぎて、
夜の大人専用時間を設ける事は、
「子供に入り込めない時間」に憧れを抱かせるため。
良く知っている店が昼夜で2面性を持つというのは、
子供心に漠然と、憧れを抱くものだろうということで。
イベント時にこの大人専用時間の規定を解除するのは、
段階的な大人社会への参加に意味を持たせたいため。
「大人の世界を覗くこと」が子供の日常になりつつある現代、
敢えて「限定」を設けて差別化を図るのは、
こういった社会参画の意味を一足飛びにさせたくないので、、、
まずは各年代層で同じ趣味の塊を作り、
それを少しずつシャッフルして、年代を超えた大きな集まりに組み替える。
そんなわけで、参加型イベントの練り込みは、
かなり必要だと思われる。。。書いていてだんだん困ってきたぞ。

前述のプラネタリウムやストリートオルガンなどは、
どちらかというと観客型の参加なのでライトに行えるのですが、
(それでも相互質問方式の教育要素は維持したい)
星の観望会やホールでの声楽コンサートの誘致などは、
実際には学校との連携もある程度必要だろうと思う。
部活レベルが人数的には理想なので、
例えば中高生が星の解説を行うようにしたり、したいですね。
それから、大事なのが学校への文化祭支援。
これも部活動レベルが対象。
図書館的な利用法と、博物館的な利用法を備えて、
利用者側の自発的探求心をサポートする。
もちろん、
これは大人の「余暇活用」にも繋がるので、
専門的な知識を有する趣味人を呼び寄せて、
大人側の育成趣味的な感情も満足させられればと思う。
(最近は子供だけでなく、老人も敬老会を敬遠し、趣味活動の場が少ない。)
一部のミュージアムで行われている「説明員」の制度より、
もう一段踏み込んだ人材活用(地域社会貢献)が出来るかと思う。
「教育的(ここの場合の意味は”押しつけ”)」
にならない程度にバランスをとるのが難しい所だけど、、、
うーむ。

夢想にある壮大な設備は、あくまでも付帯的なもの、
伝えるのは知識文化というより、
趣味の心得になるんでしょうな。
ただ、付帯的とは言え、舞台装置はある程度必要なわけで、、、

例えば文化としての「文章朗読」を取り入れた場合、
様々な権利関係が生じるので、
教育施設(少なくとも博物館類似施設以上)の申請をしないと、
著作使用料だけで首が回らないだろうな。
施設の設置と共に申請する事になるのかな。
でもそれだと、飲食料の提供が非営利方針に引っ掛かるのか、、、
ミュージアムカフェ周辺の権利関係を
調べてみる必要がありそうだ。
となると、
社団営か、NPO運営になるのか。
個人営業の商用施設にこだわりたいからなぁ。。
あくまでも理想は在野。
まぁ、夢想の段階なので権利関係は置いておこう。
挫けるから。orz

さて、
次は雑貨店での物の値段について。
極めて面倒な試みですが、
年齢によって様々な料金は上下させる予定でいます。
それは、
雑貨店での商品の対価は、
相対価値であって欲しいから、です。
大人と子供では経済力が違います。
同じ物を買うのに、
自分の懐に占める比重を是正したい。
そこで産まれる文化的対価(ツケ)は、
次代を育てる意味で大人に負担して頂きたいなぁと。
もちろん、それほどの暴利にするつもりはなく、
基本的には大人料金は一般価格より少し高いかどうか、
というライン。
要は「社会が子供を育てる」という意識を
大人層に持って欲しい気持ちの表れですね。
(このあたりは映画などの文化産業の料金思想と
 リンクしてますね)
この場合、
自分の飲食料を子供価格で買いに行かせる親は退店願います。
一緒に買いに行きましょう(^o^)。
ただし、
同一の物品に関して販売価格を変えると言うことは、
たぶん法律上、難しいのではないかと思っているので、
雑貨店は社団かNPOの法人格を持たせ、
通常価格との差額は「寄付金」の扱いで徴収することになるんじゃないかと思います。
その場合、通常料金の領収書が1枚と、
寄付金の領収書を別に切るようなことになるのかな。
しかるべき資格を持つ社団やNPOへの寄付金は、税法上の優遇を受けられる(はず)ので、
確定申告時には所得控除という形でそれなりに戻ってきます。
それは、社会的にも寄付が教育行為に結びついていることを、
身をもって感じてもらう一助になるんじゃないかな。なんて、考えています。

<その3:後編へ続きます>←次でラストです!