大人の図鑑カフェ

__夢見る頃を過ぎても(その3)__

__夢見る頃を過ぎても(その3)__

__夢見る頃を過ぎても(その3)__

前回、雑貨店と社会教育の関わり合いの理想を書きましたが、
今回は、現実に行われている学校の特別活動(授業外活動の総称)と、
地域における行政の社会教育、
民間の社会教育との関わりを書いてみようと思います。
このシリーズにしてはちょっと実践的な話題となるので、
少し堅苦しい話になるかな、と、思いますので。
なかば備忘録的に、
自分に向けて、書いてみようとキーを走らせます。
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<前回までのおさらい>
学校が「学ぶこと」のみを追いかけ、
社会が子供から「隠れること」を奪い去っていく中で
「居場所」としての「溜まり場」を探して、
私は「参加するカフェ雑貨店」という商業施設(限りなく非営利に近い)に
たどり着きました。
プラネタリウムや郵便業務、旅券業務、雑貨店にカフェ、そして図書館、
コンサートホール、を併設した多目的カフェ。
そこでお客さんは子供専用時間・大人専用時間・併用時間で住み分けて、
イベントや会話を通して自分の趣味を深めつつ、
他者との関係をも深めていく。

_博物館のように高説張らず、
 教師のように成果を求めない。
 本の中だけにとらわれず、
 商業主義を追いかけない。
 それは常に息抜きの喫茶と共に、ある。_

そんなお店をできたらいいな。と。
まぁ、そんな所から話は始まりました。
実際、
学校教育の中での「特別活動(課外活動のこと)」は、
年々、おざなりにされてきていると感じていますし、
(帰宅部の生徒が増えてますよね)
それでは地域社会が強固になっているかと言えば、
そちらもどんどん衰退の道。
公園に閑古鳥が鳴いて、
外で遊び回る中高生を見かけなくなって久しいです。
保護者以外が「危ない!」と声を掛ければ下手をすれば事案扱い。
ご家庭は共働きで、家でじっくり子供さんと向き合う時間も取れない。
そのしわ寄せが全て「学校」への批判へと集中砲火にさらされる。
だから学校は「知識を教えること」のみに重点を置きたがり、
学ぶことの楽しさや、生きるための知恵を学ぶ場所が極端に減っているのが現状です。
そして、、、頭でっかちで他人とコミュニケーションが上手くとれない人がドンドン社会に出てきています。(僕もその1人ですが))

では、それを憂慮している人が居ないのか
というと、そうでもないんですよ。
実は学校教育でも、社会教育でも、
「溜まり場」を提供しようという動きは前々からたくさんあります。
今日はそのあたりについて書いていきましょう。
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<学校活動編>
まずは学校(中学・高校)。
特別活動として、クラブ活動があります。
まず前提として一番重要なこと
【趣味を同じくする他学年の仲間ができる】
同学年の仲間って言うのはある程度簡単に作れるんですが、
学年が異なると、なかなかつながりを作るのは難しいもの。
これは、指導要領として
いわゆる特別活動のなかで重要視されていることでもあります。
堅苦しく書くと、
いわば「ミニ社会」の実践の場になるわけで、
ここで他学年とのコミュニケーションや責任の重さについて学ぶ、というわけです。
ここで問題となってくるのが「少子化」「趣味の多様化」の問題。
爆発的に一つのことが流行する事は近年ではむしろ希で、
右向け右や左向け左のような、良くも悪くも文化のまとまっていた単位が細分化され、
トッ散らかっている印象を受けます。
学校での部活動は、教科との連携を軸にしている場合が多いため、
とかく部活動の種類が少ない。
これは教員の絶対数が不足していること・少子化とも関係してくるんですが、
「入りたいと思う部活ない」
と思ってしまったら、なかなか部活には入りません。
そこで一念発起
「人数を集めて部活を作ろう」
という行動力がある学生がいれば、まだ救いはありますが、、、
実際の所、規定数を集めたところで同好会止まり、
部活への昇格ができずに終わるケースも多いように思われます。
(教師数の不足および加重な労働環境・予算枠などなど)
その点、私学はそれなりに部活動に力を入れていたりもするのですが、、、
学費はそれだけ高くなりますよね。

ただ、勘違いしないで欲しい事が一点。
インターネットとスマートフォンの普及についてです。
近年では個々人で情報を手軽に得られ、
また、直接にネットコミュニティにアクセスできる事も一因として「は」ありますが、
それはどちらかというと社会活動編(中編)で書いた
表社会で作れなくなった【秘密】が手の届きにくい深部に移行しただけという感があります。(※あくまでも個人的な感想としておきます※)
確かに、自分とは全く関係の無い第三者に相談出来たりと、メディアリテラシーがしっかり備わっている大人なら一つの救いであることは確かです。でも実際には大人からして、、、(これ以上は書けません)

それよりも、
趣味以外での対人関係を怖がる(もしくは極力避ける)傾向が年々強くなっている方が深刻なのかなと。
そこで、雑貨店の登場。
雑貨店での交流というのは、結局は趣味を同じくする人の集まりになるわけです。
異世代間の交流はもちろんのこと、
「子供専用時間」「大人専用時間」「併用時間」の棲み分けによって、
仲間を選ぶ時間をじっくりとれるよう配慮しています。
参加者が増えるにつれ「自ずと集まる時間帯」が分化されていくはずなので、
たまにはそれをシャッフルするようなイベントを組んで、
最終的には世代間の壁を取り払うことができたら良いなと思っています。

さて次。
【部活って学校から部費名目で補助がおりる】んですよね。
公立・私立によって額はだいぶん違いますが、
自分の好きなことができる上に、それを補助してくれる。
これは、部活やらなきゃもったいないんですよ(笑)。
自分で稼げない以上、子供の財力は限られています。
道具をそろえたり、図書館にない本を買ったり、、、
それら、部費としておりるお金というのは、
親が直接学費として納めた物であったり、
国から助成金名目でおりたお金の一部(つまりは税金)だったりします。
雑貨店では、この点でも少し考えています。
それが商品全品目にわたる「大人料金」「子供料金」という別料金。
親が直接、子供に玩具を買ってあげるだけでなく、
よその子供の社会・文化を支えるという
「社会的意義」を、負ってもらいたいと思います。
子供の文化を支えるのは、まぎれもない大人達なんです。
自分たちの年代の文化を伝えるも途絶えさせるも、
結局は伝えようとする側の努力次第。
老後の面倒を見てもらうかわりに、
育てるときは社会でしっかりと支えてあげましょうよ。
直接「モノカネを与える」だけが大人の役割ではないという意味でも、
雑貨店での間接的文化支援(博物館や映画館などの文化施設でいうところの維持費)を、
考えてみてほしいなぁを思うわけです。
そのあたりの考え方はNPOや社団法人と通じるのものありそうだと、思ってますが、
なかなか「商業施設」としてそこに価格差をつけるのは難しいのが現状だと思います。
お金の問題は、環境の醸成が一番難しい分野なんですよね。困った。。。

当店はあくまでも合同会社(旧:有限会社)ですからねぇ、、、

さて、部活動がらみでの最後。
【保護(制限)付きの自由】があるということ。
子供が個人で責任をもてる範囲も、実はかなり限られています。
スタンドバイミーよろしく、冒険の旅に出られるか?といえば、答えはNO。
自分たちが好きに集まれるようなアパートを借りられるか?というのも無理。
実験で使う薬品(劇物)を買うことだって、子供にはできません。
それを可能にするのが「保護する大人」の存在。
部活動として合宿(旅行)に出ることも、
学校に居場所としての部室を確保することも、
実は大人という存在が有ってこそできること。
そう、その役割が「教師(顧問)」なわけです。
現役世代(学生)にはそういう意識は希薄だと思いますが、
じつはその希薄さが重要。
「そこの責任の重さを学生に気づかせずに負ってくれる大人」
というのが子供にとっては大事だったりします。
子供は子供らしく、閉塞感無く自由であるのが一番なわけで、
そのための環境を無償で提供できる、
というのはある意味とても貴重な空間なわけです。
「やりたい」という好奇心の芽を潰さず、
育てていくための楯となる大人の存在。
実はこれ、学校の教師が一番大変なんですよね。
子供にはうっとうしがられ、
もしもの場合には親につるし上げられる。
だからこそ、
「手当の少ない特別活動に休日返上で付き合う教師」が貴重なわけで、
特別活動自体が縮小傾向なのも、
まぁ、頷くしかない事実であったりします。

これも、雑貨店で手助けしたい分野の一つ。
子供の企画したイベントを実行したり、
場所を提供したり、安全と責任を担保する。
場合によっては、親自身の教育ということにもなろうかと思います。

とかく、我が子可愛さに過保護になりがちな親たちなので、
思い切って子供に責任を持たせることの大切さ、
放任ではないにせよ、ある程度子供を信頼すること(子離れ)は、
キチっと親の責任として自覚してもらわないといけないと思っています。

闇雲に誰かのせいにするのではなくて、
子供に自立心・生活力(生命力や危機意識)を芽生えさせ、
「自分の責任の及ぶ範囲」をきちんと自覚させるよう、
促していけるかどうかが鍵です。
あまりにもそこが曖昧な親たちが多いですからねぇ。今は、、、。

次に委員会活動、、、
と思ったんですが、
こちらは趣味環境とは少し違ってくるので、割愛。
あんまり雑貨店と絡む分野ではないので、、、、すんません。
次に、学校教育と社会教育の接点として
【地域班(子供会)】をあげてみようと思います(公立小学校)。
私の専門(教員免許の範囲)および、雑貨店の対象は中学~なんですが、
地域班は、いわゆる集団登校などで使われてますね。
通学区域をある程度のブロックにわけ、
その区域内での生徒同士の交流をはかる活動。
全校遠足での班活動や、
夏祭りのイベントを企画していた覚えがあります。
たしか、両方とも学校から補助が出て、
その予算でいろいろとやりくりしたような。。。
夏のイベントでは親たちも色々と協力してくれて、
商店街では色々とオマケして貰ったりしました。
地域を巻き込んで、というのは公立ならではですが、
これもなんとか雑貨店でできないかと。
できることと言えば、敷地の開放、地域イベントの参加ぐらいですが、
逆に雑貨店のイベントが地域に定着できる方向に傾けば、
面白いことができるかな、と思っています。
もちろん子供会だけでなく、大人とも、ですよ~。

※追記※
 大事なことを書き忘れてました。
 部活動で大事なこと。
 【私物を置ける空間】
 これは「隠れ家」としてその空間が機能できるかどうか、
 その指標でもあります。
 部室を持っているといないとで、
 結構活動自体も変わってきたりしますよね。
 
 教室を間借りした部活でも、
 例えば準備室に部活用のロッカーがあったりしているはず。
 本当は、
 完全に私物化できるような
 個別の部室があるのが理想なんですが、、、
 それは贅沢な部類ですよねぇ。。。
 
 雑貨店でも、
 個別の部室を設置するのは無理があります。
 ということで、
 貸し教室を3つぐらい設置できれば御の字ですね。
 「会議室」ではなく「教室」にするのは、
 やっぱりその方が秘密感があるから。
 思春期には陰のある場所がないと駄目なんで、
 清潔なイメージの「会議室」は雑貨店には似合いません。
 教室は時間貸し制で、
 一応は視聴覚設備も居るでしょうかね。
 さすがに完全私物化は無理なので、
 大小の私物ロッカースペースを準備するかな。
 これなら、雑貨店に手ぶらで来ても遊べるし。
 親にナイショな事もたくさんできるわけですしね。
 もしくは半地下部分に部室棟を作るか。
 3グループぐらいの共同使用で、
 壁のペイントから何から、
 そのグループでてきとうに決めて貰って。
 交代制で使う。狭いスペースなら、
 8部屋ぐらいはできるかも。
 ってことはこれで雑貨店内に24部活を擁せるじゃん!
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、、、なんて大言壮語の誇大妄想、、、il||li _| ̄|○ il||li

雑貨店シミュレートのうち、
思想的なバックグラウンドはこれぐらいかなぁ。。。
まだまだ掘り下げは必要だけれど、
文化!文化!と叫ばずに、
飲食可能な雑貨店として行える気軽さを模索中です。
お客さんがその状態でワクワクできるのが第一義。
実はそこと僕の思想がズレることが一番怖い。
伝えたい事だけが肥大化するのが、
僕の悪い癖ですから。。。
それにしても、相変わらずのビッグマウス、、、

稀有壮大であるが故に、夢想が許されている感じがします。
僕は自分が「社会の育てられた」と思っています。
学校でも自分の趣味を目一杯のばせる環境が与えられ、
理解ある教師や諸先輩、そして先達や仲間に出会って今に至る。
だからこそ、
こうして仲間とともにいつまでも楽しめる環境に憧れるし、
同じ喜びを分かち合える場所(トポス)を作りたいと、いつも思う。
いつか作れるその場所(トポス)は、
笑っちゃうほど小さい物かもしれない。(現注:実際もの凄く小さかったですね)

それでも、
核となり、芯となる思想があることは、
決して邪魔にはならないでしょう。

時に自分の心にある宝箱を開き
こうして自分の思う理想の雑貨店を描いてみる。
それを箱庭、夢想と馬鹿にされてもいい、
想い考える心に、いつか力が宿ると、
僕はまだ、信じているから。

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まぁ、読んでいる方もそう居ないでしょうが、これにて3編完結。
最後に開いたのが2017年ですから、それからまた一年が経って、
思うことも色々ありました。
ネットについては私は高校時代の「パソコン通信」時代から触れていたので、
それとリアルの地域教育が相容れないとも思っていません。
そのあたりに注意してお読みいただければ幸いです。
__うん。
こんなんだから儲からないんだよね(爆笑)。←笑い事でもない

ちょいと尻切れトンボの感がありますが、
とりあえず書き溜めてあった3編は以上で終了です。
まぁ、最初のお題は「宝くじで400億円当たったら」から端を発しているので、
規模から野望から色々とごちゃ混ぜになっているのは否めません。
ただ、
「理想論」で片付けるのは容易いですが、
どこから手を付けていくのかな~、どう転ぶのかなぁ~。
などと考えるとfumikuraもソコソコ頑張っているとは思います。
まぁ、社会教育だの何だのとこんな余計なことを考えているから、
事業の採算に疑問符が付くイベントを呼び込んでしまうんですが、、、
正直、一昨秋の「神話朗読に生演奏を入れたプラネタリウム」なんて、
各方面どうして許可が下りた?という今考えても本当に恐ろしい企画でした。
準備に3ヶ月以上掛かっているのに、
上演は一夜限り、そしてチャージ無しですからね。

出演者全員がロハ(出演者慰労のための飲食は店からの持ち出し)、
でもって店にもほとんど実入りがない。でもあれこそがこの店の本質であり、絶対に外したくないイベントでした。もちろん今でも「あれをやったからこそ今がある!」と思っています。

まぁ、その条件でないと許諾が下りないから仕方が無いんですが、、、(苦笑)
イベントも商業ベースに乗せましょう、割と本気で。(笑)
色々と小難しい事も書きましたし、なにしろ古い話です、
各立場(教員・社会教育主事・司書・司書教諭・学芸員)での認識の甘さや、
現況に合わない部分も多々見受けられます。
削ぎ落とし、または可能な事を選別しながら、
地道に根付いていけるお店にしていきたいですね。

また、雑貨店からブックカフェに変更したことで、
事実上に小中学生は対象から外れている状況です。
置いている本の内容からして、高校生も怪しいかな、、、。
(お値段的にも難しいですよねぇ、、、)
若いお客さんは大学生~新卒社会人ぐらいが多いですね。
(一部、中学受験組の小学生もチラホラ居ますが)
また、こうやってグダグダ考えては居ますが、
基本的にお客様から話しかけられない限りはこういったお話はしません。
放置です(笑)
喫茶店や、居酒屋さんだって、barだって、熟練の大将やマスターは考えずとも自然と似たようなことはやっているんですよ。
友達のように水平方向ではなく、
親子・先輩後輩・上司部下のように垂直方向でもない、
社会教育では「社会的オジ・オバ」と呼ばれる存在がそれです。

僕にはまだまだ経験値が足りません。
いずれにしても、
どんな取り組みを続けるにせよ、継続は本当に大事ですね。
いずれ「ああ、これはあの事だったのか!」と解って頂ける時が来るまで。
とにかく店を存続させないといけませんね(笑)

最後まで読んで下さった数少ない皆様、どうもありがとうございました。<m(__)m>