焚火仕様のアロマディヒューザーが入荷しました。
(動画参照)
18:00~店内にて稼働しますので、
楽しんで頂けましたら幸いです。
(焚火の香りのアロマオイル使用)
カフェ・グランピングだと思って気軽にどうぞ。
(店の中央に置くか、カウンター席の貸し出し製になるか悩んでいます)
さて、いきなりどうしてそんな物を店に入れたのか、、、
その理由について
やたらとと焚火への思い入れがある店長から、
ちょっとした昔話を4編お届けします。
<焚火への誘い(3編)>
__大人のしるし__
【焚火の季節】と言うと、思い浮かぶのはいつの頃だろう?
落ち葉舞い散る晩秋だろうか?
春や夏を彩る、海や河原のバーベキューだろうか?
ある程度の年齢の方々にとっては学園祭の思い出かも知れないし、
地方によっては正月行事の一環として思い出深いとも言う。
各々の思い出と共に、心によぎる景色は様々である。
僕らの焚火の季節は「冬」。
冬の合宿で星見に訪れた八ヶ岳高原に原点がある。
観測は真夜中まで行われるため、
寒いテント内とは別に、
先輩が熾(おこ)した焚火が必ず用意されていた。
まだ中学生だった僕らは、
高校生の先輩が囲む焚き火の端っこに、
ギクシャクしながら混ぜて貰っていた。
僕らの頃、中学1年生から見る高校3年生は、
ずっとずっと遠い大人の様に感じたものだ。
このような場でなければ、
一緒にいることすらためらわれたため、
焚火を一緒に囲むということで、
大人の世界を覗いている様な、
そんなドキドキする感覚を味わっていたように思う。
もちろん、焚火をいじらせては貰えず、
ただ、火の側でコーヒーなどの御相伴に預かっているだけ。
それなりに長じてこなければ焚火には手を出せない。
そう僕らに思わせる
不文律のような妙に厳粛な雰囲気が、そこにはあった。
当たり前の話だが、
焚火の暖かさは距離に比例する。
また、話題の中心も、焚火の中心と重なる。
話題の中心には年長(中高一貫校でした)の先輩が居て、
僕らは話題から少し外れた場所、
外気の凍てつくような寒さとの境界あたりで、
同級の友人と小さく寄り添って話をしていた覚えがある。
冬の夜の焚火は、
実際何より、有り難い。
外気が寒くなればなる程、
その暖かな炎は求心力を持って僕らを惹きつける。
焚火に当たる体の前面は、焼け付く程に熱い。
しかし反面、背中の側は外気にさらされ、
凍てつく程に冷たい。
「ここまで、あったかいね。」
「こっからは、さむいね。」
そんな明瞭な境界(ギャップ)が焚火には、ある。
火照った顔を宙(ソラ)に向け、
適当な外気で頬を冷ます。
外気が染みてくるような、その意外な程の心地よさは、
焚火ならではの楽しみだ。
時々、先輩が色々と話しかけてくれる。
「こないだの合宿はどうだった?」
「顧問のヤツがさぁ~、、、」
そんな小さな話題と共に、
気が付くと、
密輸の”未成年お断りの品”が出てきて、
半ば強制的に、秘密の共犯者が生まれる。
火の中心から少しだけ遠くても、
十二分にその焚火は暖かい。
そうやって僕らは、
ほんの少しづつ、大人に近づいていった。
__焚火は闇夜によく似合う__
僕らの学生生活と焚火は切っても切れない関係にあった。
洞窟探検の多くは人里離れた山の奥にあり、
数日の遠征ともなれば
必然的として野営キャンプの隣には当たり前のように焚火があった。
天体観測でも同様だ。
主に厳冬期に行われた冬合宿には、八ヶ岳まで出かけた。
マイナス10数度を記録する極寒の世界に、テントのみで過ごすのは自殺行為に等しい。
直接目に光を入れないため、観測地と野営地は少し離れた場所に置かれていた。
焚火を愛でる者の多くは、闇夜の過ごし方に各々独特の美学を見いだす。
・何はなくともウヰスキーを離さない友人や、
・四六時中、夜通し料理(ツマミ)を作っているマメな男もいる。
・「いや、やっぱりカバーのない文庫本だろう。」と、
わずかな光量を頼りに字を追う者が居る側で、
・黙々と薪(たきぎ)の枝払いに勤しむマメな男が居たりもする。
確かに、何かに没頭できる雰囲気が、焚き火の回りにはある。
かく言う私がどれにあたるかと言えば、
「身をもって知る方が面白いこともあるんですよね」
と、答えをはぐらかしておこうと思う。
いずれ御一緒された時にでも、御確認されたし。
突如として熱弁を振るう論議が出る一方、
ゆったりと流れる闇夜の時間は、トータルで見ると静かに過ぎてゆく。
ただただボーッと揺らめく炎を見ているだけでも気が和む。
そこここに転がっていた岩を椅子にして、
居眠りなどしながら、果て無き夜を愉しんでみる。
すると不思議なもので、不気味な夜の闇さえも、
やがて美しいと思えるようになる。
焚火のように穏やかな光は、
自然のままの闇の中が、いちばん美しい。
街灯・蛍光灯などの安っぽくトゲトゲした波長が近くにあるだけで、
途端にその彩りを失う。
それは、夏の風物詩である花火と同じで、
風情・雰囲気を殊の外大事にする、繊細な光でもあるのだ。
物想う時、闇夜を照らす燈は、
人類の手にした最も原始的な焚火に限る。
そして、焚火の雰囲気を最大限に味わいたいのなら、
自然の中の闇夜に限る。
だから、
ただ単に燃せばいいというものではない。
闇夜と焚火のバランスがとれてはじめて、
一人前のタキビスト、なのである。
焚火道も、思いの外、奥が深いのだ。(笑)
__焚火の肴__
タキビストの夜は、長い。
パチ・パチと爆ぜる薪(たきぎ)を足し足し、
四方山話に興じる時、
酒と肴は、欠かせない。
肴はシンプルなものが、美味い。
なるべく手間をかけないで、
焚火から離れず全てが整うようなものが、いい。
話をしながら熾火(おきび)で焼く、
定番のカリカリベーコンや目玉焼き。
簡単に茹でたアスパラやほうれん草を添えれば、
これだけで立派な夜食になる。
小網があれば、餅もいい。
醤油の焼き目に、思わず小腹が疼く。
ホイルがあれば、焼きジャガ。
チューブバターと醤油で、ホクホクを頬張る。
もしくは切り身魚に香草を少し、
遠火で焼けば、バター風味のホイル焼き。
話と共に、酒もすすむ。
焚火の肴は、匂いが楽しい。
醤油にバターに、食欲が刺激される。
ちょっとだけとは思いつつ、
夜長を食べるタキビストの胃袋も、尽きない。
グループ内だけに通じるような裏メニューも有り、
タキビストは各々、幾つかのレパートリーを持つ。
「アイツが参加するから、今回はアレが喰える!」
そういう楽しみもまた、
夜長を一層、魅力的なものにしてくれる要因だ。
私の裏メニューは【チリビーンズ】と【ホットサンド】。
バウルー(BawLoo)で挟んで焚火で焼くだけの、
ごく簡単なホットサンドイッチ。
具はシンプルに、ハムとチーズだけだったり、
ツナとチーズだったり、前夜のチリビーンズの残りだったりと、
現地の食糧調達事情で応用可。
表面のカリカリと、中身のトロトロが、絶妙。
事前にリクエストがあると、
バウルーを荷物に忍ばせていきます。
そして私から友人へのリクエストは【衣かつぎ】。
茹でずに焼くだけの【なんちゃって衣かつぎ】でもいい。
大地の素朴な味が、焚火と酒と、なんとも言えず良く合う。
これも火加減に微妙な勘がいる、
タキビストの熟練技に感激した逸品だ。
夜の長さを心得た、タキビスト達。
彼らがさりげなく作る、様々な焚火の肴。
シンプルだから、いい。
気負わないから、いい。
今夜もそんな美味しい肴たちに、
乾杯!
__懐かしい香り__
「あんた、臭い!!」
実家にいる頃、
僕がキャンプから帰ると、玄関先で母はいつも不躾に人の臭いを嗅ぎ、
こう宣った。
「あんた臭い!お風呂は最後ね!」
酷い仕打ちである……。
自分でもクンクンと衣服の臭いを嗅いでみる。
「……確かに臭い。」
独特のスモーク臭が衣服というより地肌から漂ってくる。
道理で、電車内であからさまに避けられた訳だ。
長時間焚火に燻されていたが為に染みこんだスモーク臭、
香りの良い木を選べばそれなりの匂いなのだろうが、
我らが焚火の主流は渓流・山中での流木や倒木の自家調達である。
山を藪漕ぎして駆り集めた雑木なのだから、
上等な匂いなどする訳がない。
※キャンプや薪ストーブの焚火は煤の出にくい広葉樹が多く、
しかも適当な大きさに切って半年ほど乾燥させた物を使います※
油脂の強い木が混ざれば、肌は黒ずんでテカテカ光るし、
小枝や落ち葉が混ざれば、髪は灰で脱色されてゴワゴワになる。
みんな選別もせずに放り込むものだから、
小竹は爆ぜるし火柱もあがる。
火の粉で衣服に穴が空き、
火柱で前髪がチリチリ焦げる。
炭を熾(おこ)そうと竈を吹けば煤まみれになり、
知らずに足を置いた焼け石でスニーカーが溶ける。
さらに焚火の炎はじりじりと素肌を焼き、
顔もヒリヒリする程赤銅に焼ける。
(これを僕らは「焚火焼け」と呼んでいる)
そして燻されること数時間もすると、
みんなが同一色の、タキビストの顔になる。
それがまた、いい。
こうなると、
衣服の臭いなど、そう簡単には落ちなくなる。
帰りがけに温泉に寄って丹念に体を洗っても、
持ってきた着替えと取り替えても、
「臭うよね。」
「うん。臭う。」
でも、そこで嫌な顔はしない。
みんなどことなく嬉しそうに、
だけど照れくさそうに、笑う。
衣服の臭いは、頑固に残る。
何度洗濯したって、1年以上も残る。
臭い臭いと笑い合いつつ、
翌年に袖を通した時、その微かな匂いを嗅ぐと、
「また行きたいな」
と、思う。
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<note>
HP遊覧航路
ほぼ月刊webちょっ?2001.09.25.第03号
ほぼ月刊webちょっ?2001.11.28.第05号
ほぼ月刊webちょっ?2002.03.09.第07号
ほぼ月刊webちょっ?2003.06.12.第11号
より再編集
いやぁ、懐かしいですね(^^ゞ
最近はキャンプに出かけていません。
ソロキャンプやグランピングがブームのようですね。
中学から大学までガッツリと焚火に親しんだ身としては、
“非日常感”を感じるにはなかなか面白いと思います。
・【焚火を我が手に】(「大人のしるし」の原題)
焚火に憧憬を抱く時期、というのはあるのかもしれない。
まだ色々な部分で未発達の子供時代で、
「火を使っちゃいけません」
など、様々な制約と共に社会に一歩踏み出せずにいるような、
そんな頃。
自分たちだけで焚火をやりたくて、
奥多摩まで薪を担いで出掛けることも良くやった。
上手く火も操れず、
悪戯に大きい炎をあげるだけの焚火は、
雰囲気もなにも考えない滅茶苦茶なモノだった。
・自分が焚火を扱う年齢になってみると、
別に大人でも何でもなくって、、、、
それがまた少し、悲しくて。
手に入れたのは、時間の重みだけだったのかなと。
焚火の周り、キャンプ地では諸先輩方から様々な”遊び”を教えて貰いました。
例えば暴風防火マッチ(例:ブルーチップ)を靴底で擦って火を付ける、とか。湿気らないようにプラスチック&ゴムの防水ケースに入れるとか。米軍仕様のメタル製火種セットとか。ホワイトガソリンを使用した”ファイヤーボール”の作り方、小麦粉とドライイーストでパンを焼く方法etc.etc.
今思うと面倒見の良い面白い先輩に恵まれました。
焚火に関する過去日記より3編を引っ張り出してきましたが、
御年まだ20台ですからね、、、拙い文章に笑ってやって下さい。