令和10連休限定!
【御大典記念ミニフェア】を開催します!
”平成”という一つの時代が終わり”令和”への改元と共に、新しい時代を迎えようとしています。色々な主義思想、みな様ひとりひとり思う事も有りましょう。が、時代は変わるのですから、ここは一つ「奉祝」を以て、笑顔で新しい時代の幕開けを楽しんじゃいましょう!「笑う門には福来たる」その心意気です!
さて、時は遡り”明治”から”大正”、”大正”から”昭和”、”昭和”から”平成”へと元号は変わり、先代の諡(おくりな)として使われても居ます。今回は「譲位」ということなので事情は異なりますが、先代の喪が明けた年に「大典(即位の礼)と賜饗」が行われてきました。(先帝の崩御から1年間は服喪期間として即位の礼・大嘗祭は行われない。なお、この服喪期間を特に「諒闇」という。by.wikiペディア)
行事関連に関しましては当方不得手な分野ですので、神社本庁のホームページをご覧下さいませ。(※なお、ミニフェア期間中は卓袱台席が緋毛氈敷きのフェア台になっております。ご注意下さいませ。※)
今回fmikuraでは天皇家にまつわる行事やしきたりをはじめ、
みなさまに馴染み深い、
御用達品カタログや先々代の愛した料理のレシピ、ファッション、
御陵印や御陵の地形図一覧、叙勲制度など、
様々な方面から関連書籍の展示(閲覧・購入可)を行います。
今回の目玉展示は
大正天皇即位~太上天皇(上皇)即位まで、
賜饗場で下賜された「かわらけ(素焼きの土器盃)」の実物を一挙大公開致します。
(一部、民間祝賀で使用された物もあります)
皆様、「さかづき」と聞くとどのような感じを思い浮かべますか?調べてみると、「杯」「盃」「坏」「盞」と、まぁ様々にあります。
基本的に、皆様が使用されているのは高台のついた「杯」でしょうか。
漢字では木偏ですので漆器の木杯と思われますが、現代はガラスや金属何でも有りです。
異字体ではありませんが同様の「坏」が土偏なのにご注目、古代はほとんどが土器だった事を示しているのかと思います。
(考古学専攻の方に聞けば解ると思うのですが、、、
郷土資料館などで出土品の土器には坏の字を使っていた記憶があります)
そして、今回展示されている「かわらけ(土器盃)」には高台がありません。
そうです、高台の無い、実質は皿状のものでお酒を飲むときに
「盃」もしくは「盞」の文字を使います。
※高知の「可杯(べくはい)」は用途が違うので形式上「杯」を使っています※
そしてこのかわらけは、
今でも「不退転の決意」を表す時などに民間儀式として使われる事があります。
例えば結婚。
地域によってはお嫁に出る時に「この家にはもう戻らない」として、
家を出るときにかわらけで酒を飲み、その盃を割っていく習俗があったりします。(三三九度とはまた別の話です)
戦時中の「水盃」や「固めの盃(極道に限らず家族や地縁的な集団の結束)」など、 枚挙にいとまはありません。 珍しいところでは相馬野馬追などでも射者が酒を飲み、 かわらけを割ってからスタートする、なんて事もあります。 昔でいう戦に出たら戻れないかもしれない、との決意表現の名残でしょうか。
と、余談が長くなって仕舞いましたが、
今回、大正大典(大正3年)と昭和大典(昭和3年)の白いかわらけは下賜盃で、 実際に賜饗場(主に軍関係)にて配られたもののようです(その旨箱書き有り)。
土器盃ゆえお酒が染みると跡が残ります。
ですので本来ならその場で割るか、持ち帰って神棚に置いておくものでしたが、今回出展している盃に染みはございませんので、おそらく未使用のものと思われます。
意匠も「三種の神器」が陽刻してあり、質素にして凜とした趣がありますね。
他方、昭和大典での茶色の盃は民間一般に流通したものと思われます。
※期日中に到着するか微妙ですが、平成大典の釉薬のついた陶器盃も、菊のご紋は16弁ですが、おそらく民間もしくは神社関係から出たものと思われます。令和も何かしらの大典記念盃が出そうですので興味のある方は神宮系の神社にお尋ねになるのも良いかと思います※
併行して、御参考までに叙勲制度の実例として実物の勲章も展示致します。
(※こちらは栄典制度上
叙勲者のみ身につけられるものですので着用はご遠慮下さい※)
_私は庶民の出ですので、この勲章も先祖のものでは有りません。_
あくまでも御参考品ということでご承知置き下さいませ。
最後になりますが、初代神武天皇の東征の神話に出てくる、八咫烏(ヤタガラス)のお守り(橿原神宮)も展示しました。今や日本サッカー協会のマークとして有名ですし、どちらかというと熊野三山の象徴と解される事が多いようです。また、家紋マニアの間では鈴木さんの総本家、藤白鈴木家(熊野大社の神官穂積氏の系統)の家紋でもあり、戦国マニアの方は霧笛の鉄砲部隊”雑賀衆”の鈴木重秀(雑賀孫一)、もしくは鈴木佐太夫などで「おお」と思うかもしれません。もともと三足烏(みつあしカラス)は中国・朝鮮半島にも多く分布する神話の一つらしいので、日本書紀や続日本紀が編纂される頃に取り入れられたのではと言われています。(何から何まで起源を主張するどこかの国とは違い、渡来文化は渡来文化として私は併記します)なお、巷を騒がす秘密結社ヤタガラスのお話は、今ココでは最も相応しくない話なので割愛させて頂きます。