大人の図鑑カフェ

放蕩息子の帰還

放蕩息子の帰還

母校(中学高校)の恩師にご挨拶に行って来ました。
この歳で(入学から数えると約30年)、母校に恩師が現役で居るのは大変な幸運です。
各学年で学級担任だった先生も、既にお亡くなりになっている方もたくさん居る中で、一番お世話になった先生がご存命で、しかも現役ですからね。
私学に入れてくれた両親にも感謝です。公立校は移動が多いので、同じ所に留まる先生はまず居ません。
そんな意味では、無理をして私学んい入れてくれた両親には感謝してもしきれません。

中学高等一貫校で、洞窟探検の危険性からもOBまでやってくる部活。
中学一年の担任にして顧問だったその先生には、パッキリ6年間、めっちゃくちゃ迷惑を掛けました。発想はブッ飛んでるは、そのくせ行動力が抑え切れずに暴走するわで、何回始末書を書かせた事か、、、(文化祭の模型製作でボヤ2回、部活動中の自爆事故で縫う怪我2回、、、だったかな、、、)
「静かな問題生徒」
とまで言われた私ですが、自分の責任の及ぶ範囲を適切に教えてくれ、その中での活動には決して枷を嵌めない先生でした。そして、責任の取り方と共に、大人の口説き方(役場や企業へのアプローチの仕方、いわゆる手続き論)を叩き込んでくれたお陰で、今の私が居ます。ブログの題名は「レンブラントの絵画」からなので、そんな大げさな話では無いのですが、私にとっての心境としては、まさにそのような感覚でした。まぁ、恩師は数多くの問題児を見送っていますから、どう感じていらっしゃるかは推し量れませんでしたが、、、(笑)

とっ散らかって飽き症にも見えたでしょうが、
今日、表紙になった雑誌を手に、アポを取って訪問したら、
「やっと自分の道を切り開いたんだな」というような事を言ってくれました。
厳しい道だからこそ、目に見える成果が出るまでは、文化祭の案内が来ても訪問が出来ませんでした。
単純に「開店しましたー!」じゃ駄目で、ある程度展望が開けるまではとずっと我慢して、ようやく報告が出来た事は、自分へのケジメとしても良かったなぁと思いました。

旧校舎が建て替え工事に入る最後の年は、まだ弁当屋でした。昨年末に全棟の建て替えが終わり、ほとんど全ての面影は消えていましたが、危惧していた程の居場所の喪失感がなかったのは、先生の存在が大きかったと思います。(写真はほとんと立て替え前の画像です。流石に現在の内部は掲載出来ないので。)

冗長な繰り返しになりますが、
先生の居るうちに結果を出せて良かった。
まだまだ大変な事に変わりわないですが、
「厳しい事だろうけど、
そのままのお前でやっていけるだろ」
などと言われれば、そりゃあやるさとも思えます。

昔から何度も書いていますが、
「僕(ボク)」が「私(わたくし)」になった根本が、この学校です。(最近でもこのBlogではワザと「僕」を使っていますが)洞窟探検だけで無く、天文学も気象学も、そして地理や歴史、地質測量にと興味を持たせてくれたのも、文章を書く楽しさ(同時に苦しさも)を覚えたのも、この学校だったからこそ。趣味のアンテナが格段に増えました。
兎に角、ボンボンが多くて若くして有名になっている二世三世は周りに多い学校だったのですが、「ド庶民から、まがりなりにも雑誌の表紙になれた事には誇りを持って良い。普通の人生ならあり得ない事だ。」と。
皮肉屋でアッサリ交わされることばかりだった恩師にそう言われたのは、素直に嬉しかったです。

なんだか中学生の作文みたいな感想ですけど、
同じく皮肉屋な私の素直な気持ちです。

新たに背中を押してもらったので、
また明日から頑張れます(^^)

ヨッシャー!一応は凱旋を果たしたどー!
ってな事で、今後とも宜しくお願いしますm(_ _)m