大人の図鑑カフェ

愛する人か、社会か。

愛する人か、社会か。

<mixi日記(2007年10月07日付)より、一部改稿してお送りします。>

先日、日本赤十字社さまから
AED(自動体外式除細動器)の講習会を受けませんか?
というメールを頂き、キャッチコピーに
【愛する人を、守ってください】
とのお誘い文句がありました。 
仕事の予定が不運にも詰まっていて、残念ながらエントリーできませんでした。

例えばこのメールの文面が、社会的大儀を振りかざして
「今、AEDの操作ができる人が不足しています!
 協力してください!」 (実際の所、AED操作は音声指示通りにやればほぼ問題ないらしいです)
なんて書かれていたら、
間違っても「行ってみよう」なんて気にはならなかったと思う。

第三者の救命活動に使命感を燃やせるほどの
出来た人間ではない僕。
でも、愛する人がなんらかの事情で倒れてしまったとなれば、別。
やっぱり、出来る限りのことは覚えておきたい。

血を抜くのは個人的に(もともと短気で血の気が多いので)好きだけれど、
それを「献血」として(特別な奉仕活動として)、
位置付けはしたくないなぁと思うのは、天の邪気ですかね。

今回の講習は、
利己的な自分でも、
これなら敷居が高くなくて良いなぁ。と。
だって僕は、大勢の人が倒れている中では、
真っ先に身内を救いたいと思うから。

献血を多くしていると、
たまぁに、崇高すぎる理念を振りかざしている人に出会う。
よくよく話を聞いてみると、
「献血活動に非協力な人は●●だ。」
みたいな話がゴロゴロ転がっていて、凹んでしまうこともよく、ある。
そうじゃないんだよな、、、

患者さんへのリスク管理のための規制が厳しすぎて、
やりたくても出来ない人が多いわけだし。
(あけすけに書きますと、「健全」と言われる若者が6ヶ月も「コト」を致しませんかねぇ、、、。特定のパートナーという方は、果たして信用出来るんでしょうかねぇ。浮気なんかしてたら自分は一人でも相手は不特定多数。統計学的に言っても同性愛者より圧倒的に多いんですから、その質問を敢えて設けない所には問題があると思っています。

エコも平和も色々だけれど、
義務感に絡め取られると足下が危ないよ。
と、思う。「自分の出来る範囲」それでいいじゃない。

助けたい人なら助けるけど、
助けたいと思えない人も、僕には多分、多いだろう。
イザとなったら、責任感に耐えきれずに逃げ出すかもしれない。
でも、
講習だけは受けてみたいな、と、思いました。

自治体の保健所でやっているところもあるようなので、
ちょっくら自分の都合に合う講習があったら覗いてみようかな。

自分としては、
誰か(再三者)を助けるかどうかはとりあえず置いておくとして(コラ)。

愛する人の側に自分しか居なかったとき、
何も出来ずに砂を噛むことだけは、したくないなぁと、思います。
そしてもちろん、経験豊富な方がいれば、
僕はきっとその人におすがりすると思いますし。

知っておくこと、体験しておくことと、
その心構えに意味があるかなと、今回の講習は思いました。

そして、献血のお話。
実は、日本の献血の条件は厳しすぎると同時に、
献血時の質問文にプライバシーに直結する、
様々な問題点があったりもします。

例えば、現状でも(完全には)改善されていない同性愛者の献血禁止条項など、
いわゆる赤十字側の「大儀」によって、
謂われなく排除されている人間もいるわけです。

確かに、患者さんにしてみれば、との想いはもちろんありますが、
この問題に限ってみれば、
ヘテロだって本当は献血でるような人は数が少ないんですよ(規制が厳しいため)。
健全に子孫を産むであろう健康な青少年であれば。

<参考サイト:献血問題の現状と問題点>
http://plaza.harmonix.ne.jp/~y-paolo/material010301.htm
(※現在は大分、特定の性志向を狙い撃ちした設問へ減りましたが、、、)
<現在の基準は下記の通り:海外要項などは半ば現状にそぐわない部分も多い>
https://www.tokyo.bc.jrc.or.jp/current/index2.html

いわゆる「数の論理」が、道徳を汚すこともあるわけで、
私が根本的に赤十字を信頼できないのは、
こういった「振りかざされた錦の御旗」をどこかに感じてしまうからでしょう。

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とか何とか言いつつ、

1993.06.10(17歳になりたて)から始め、健康な時期を見計らって続けていた僕の献血回数は、
2017.08.19 ついに70回に届きました。

なぜ続けたのか?
というのは、何でしょう、、、
血液を必要とする方にも愛しい人が居ると思ったからでしょうか。

、、、ごめんなさい嘘です。
最初は「図書券欲しさ」(当時は対価として図書券を配っていた:現在は売血と繋がりかねないとの批判から廃止)から始まりましたが、回数を重ねるうちに、なんだかドンドン功労の記念品を頂くようになってしまい、
はじめは「銀色功労章」次は「金色功労章」更に「銀色特別社員章」「金色特別社員章」と続き、そのうちに「顕彰制度が廃止されるので、献血回数が30回に届いたら銀色有功章(楯or勲章)」をあげるよ~なんて言われて。
制度が終了する10日前(1995.3.20)、滑り込みで貰ってしまったのが「銀色有功章(楯)

でも、制度が変わって献血記念品:「ガラス杯」の拝受となってからも、銀杯の献血回数は70回でした。

、、、なんだかズルして貰っちゃった罪悪感めいたものが、
僕の中にずっと
「赤十字への借りがある」ようになった残っていたんです(小心者)(‥ゞ
ようやく、ひとつ肩の荷が下りた気がします。

とはいえ、これでも一応は社会教育主事補です。
皆様への啓発とまでは行きませんが、
店舗入り口に
「日本赤十字社特別社員・銀色有功章の表札(石造)」を掲げさせて頂きました(流石に勲章は遠慮)。
現在は新制度になっておりますので、直接に赤十字社から頂いた物ではございませんが、一応は旧制度中に達成したということで、皆様に認知が広がれば、ということで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここまで来ましたら、次は100回の「金色有功章」
更には満60歳と満68歳以降に1回ずつ、、、ですか。

道は長いですね(^_^)

皆様も、夏場冬場の血液不足シーズンや、
大規模災害の直後など、血液需要が増えそうな時には
募金と共に【献血】を思い出して頂ければ幸いです。



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